なまずランプ1巻の1話目に出てきた町奉行所の白洲風景。 江戸では町人が犯罪を犯した場合ここで審議されました。
審議といっても細かい取調べは事前に吟味与力などによって行われており、高級官僚である「町奉行」の前では主にそれらの確認作業だけでした。町奉行はほと
んど黙って聞いてるだけだったとか。町奉行が囚人に直に声をかける事もあったけど、そうなると審議が中断してしまうという事です。 なので、お白洲に囚人と奉行をつなぐ階段も無い(でも階段に片足かけて見得を切る遠山の金さん、アレはアレで好き。娯楽としては大正解だと思います。)
それに町奉行には裁判技術が培われていない事が多いようです。幕府の世襲貴族として生まれた彼らにとって町奉行職は、出世街道の過程で留まっただけの枝、でしたので。とは言っても一応選ばれし者だったので無能って訳でもないでしょうけど(希望)。 白洲で町奉行に一番に要求されるのは忍耐でした。町奉行は権威の象徴なので、白洲が開かれている時は真夏でも扇子で扇ぐ事は許されず、真冬でも火鉢は使えない。勿論タバコも禁止。延々と続く訴訟の間、じっと背筋を伸ばして鎮座していなければならないのでした。
一方、実際に審議をして判決草案を作る「吟味与力」は十代の頃からその道一筋で厳しくノウハウを叩き込まれて、技術はある。…ただそれと引き換えに
彼らにはそれ以上の出世はあり得ませんでした。
必然的に様々なしがらみや癒着も多かったようです。まさに「留まった水は澱む」でしょうか。 しかし裁判と言っても町奉行所のやりたい放題ではなく、監視するために図中の「目付」と呼ばれる別組織からの監視人が折節出張してきていました。当然奉行所内の官僚からはけむらがられたという事です。
※ちなみに当時は徹底した前例踏襲裁判(これは今も同じか?)。
時代劇のような個人資質による裁量の部分もあるにはあったが、相互に監視されて厳格なルールが存在したらしいですね。
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余談ですが、現代の大臣と官僚、またはその他の上司と部下の関係をはじめ、派閥、世襲、癒着や天下りなどの成分を見ると、江戸時代から引き継がれた役人体質の成分が非常に多い事をいろんな研究者が指摘しています。 …でも現代人にはそう言われてもピンとこない。なぜか?その原因は「ちょんまげの有無」でしょう。これのみと言い切っても良いと思います。イメージによる断絶があまりにも大。
なまずランプも過去の延長としての現代というよりも、『現代の延長としての過去』として幕末を書きたいと思ってきましたが、この「ちょんまげ」の持つハードルを越えるのは中々…
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